ブログ「Puppet Therapy Cafe」

パペットセラピー学会の始まりの物語 その5

ようこそ 「Puppet Therapy Cafe」へ

今日も、前回の続きのお話しです。

 

ラスベガスでの腹話術の祭典で、理事長が偶然会ったのは、

日本腹話術師協会の池田会長だったのですが、この出会いが、

学会の発足の「種」となったのです。

そして、祭典の最終日の夜、理事長は、カロン博士と池田会長のご一行との

夕食会を開き、大いに友好を深めました。

 

次回に続く

 

パペットセラピー学会の始まりの物語 その4

ようこそ 「Puppet Therapy Cafe」へ

今日も、前回の続きのお話しです。

 

理事長は、国際学会の帰りに、ラスベガスの指定されたホテルの会場で、カロン博士に

会うことができました。博士は、腹話術の祭典に、腹話術人形のエルウッド君と

共に参加されていており、その祭典には、世界中から沢山の腹話術師が参加していて、

日本からも、日本腹話術師協会の方々が参加していたのです。

そこで、また、運命的な出会いがありました。

 

次回に続く

パペットセラピー学会の始まりの物語 その3

ようこそ 「Puppet Therapy Cafe」へ

今日も、前回の続きのお話しです。

 

サムエル・カロン博士の存在を知った理事長は、すぐに協会にメールし、

博士を紹介していただき、メールで研究のことなどを質問するようになりました。

そして、その年の7月のラスベガスでの腹話術の祭典で、面会する約束を

することもできました。

偶然にも、その1週間前に、理事長は、ミネアポリスで国際学会に出席することに

なっていて、丁度良いタイミングだったのです。

これも、不思議な運命と言えるでしょう。

 

次回に続く

 

パペットセラピー学会の始まりの物語 その2

ようこそ 「Puppet Therapy Cafe」へ

今回から、始まりの物語のスタートです。

 

物語のスタートは、2001年にさかのぼります。

当時、理事長は、群馬大学の教授をしており、「医療と腹話術」の研究を行って

おりました。

自閉症などの脳障害・コミュニケーション障害において、パペット介在の有効性を

確信し、研究をしていたということです。

そして、それに関連したインターネットの検索で、世界腹話術協会のホームページに

たどり着き、その情報の中で、アメリカの腹話術師で臨床心理学者の

サムエル・カロン博士が、腹話術を心理・医療に導入して研究している事を知りました。

 

アメリカで、同じことを研究している学者がいるということが、わかったのです。

そして、これが、不思議な運命の糸のつながるスタートだったのです。

 

次回につづく

パペットセラピー学会の始まりの物語 その1

ようこそ 「Puppte Therapy Cafe」へ

今年でパペットセラピー学会は、発足から10年経過しました。

では、この学会は、どのような経緯から生まれたのでしょうか。

 

かつて、理事長が学会誌の中で、その経緯について述べていますので、

それを基に、次回からお話ししていきます。

 

不思議な運命の糸が引き寄せた、始まりの物語です。

 

 

 

自分のためのパペットセラピー その9

ようこそ 「Puppet Therapy Cafe」へ

今日も、前回の続きのお話しです。

 

自分のためのパペットセラピーは、パペットセラピーを体感するための

第一歩です。

パペットセラピーを第三者のために行う前に、自分の感情の変化を

感じることは、重要なことです。

練習のためにも、自分で色々なパターンを試してみると良いですね。

自分のためのパペットセラピー その8

ようこそ 「Puppet Therapy Cafe」へ

今日も、前回の続きのお話しです。

 

元気がなくなったときに、誰かに勇気づけてほしいと思うことが

あります。

そんなときに、パペットを利用することができます。

あなたが元気になれる言葉を、もう一人のあなたは、よく知っています。

それを声に出してもらうことで、勇気をもらうことができます。

パペットは、自分で復活するための協力者です。

自分のためのパペットセラピー その7

ようこそ 「Puppet Therapy Cafe」へ

今日も、前回の続きのお話しです。

 

自分のためにパペットセラピーを行う場合、会話をするだけでなく、

パペットを撫ぜるたり、抱きしめたりするだけでも、癒しの効果があります。

ソフトパペットの場合は、柔らかな感触がありますからね。

子どものころ、ぬいぐるみを可愛がっていたときの感覚です。

大人になっても、この触覚の効果は、生きているのです。